シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

姿勢と値段

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 レイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』の中でよく覚えている1シーンがあって、それは、依頼人に会うためにホテルを訪れた探偵フィリップ・マーロウが、待ち合わせのバーへの移動中にホテルのバーに目を見張るようなブロンドの美人を認めるシーンである。その女性をつかの間見つめていると、彼女が誰かと会話して大きな口を開けて笑うのだけれど、その途端にマーロンは美女への興味を失う。

 

 高嶺が魅力なら、例え美女でも安っぽいと魅力がなくなってしまう。女性に限った話でもないか。男性にも当てはまるけど、資産家であろうと高価な腕時計にキズがつかないかどうか気にしていたりするとやっぱり安っぽい。ワインをまとめて買ったと思ったら単価を何度も売り主に尋ねたりするのも(先日ちょっとそういう方を見かけたのだけれど、何かしら事情があるのかもしれないけれど、傍目からはいくぶん)安っぽい。(その御仁の後には、来週もフランスだかスペインだかに行くのだけれどと言う暇があるのに試飲ひとつせずにワインを一本買っていくご婦人がいて、彼女はその中で一番安いワインを買っていった。そういうのもやっぱり安っぽいじゃないか。)

 

 安っぽいというのは、言い変えたほうがわかりが良いが「つまらない」ということである。美人なうえに、知的だったりすごく意地悪だったり車の運転がとても上手だったりするとものすごく興味深くなる。高嶺感が高まる。資産家なのに謙虚で知識が豊富で良い身体であるほうが「おもしろい」。

 

 人を見て「安い・高い」と感じることが多々あるのだけれど、それはそのまま「つまらない・おもしろい」という意味でもあるが、ではなぜそう言わないのかといえば、たぶんどこかでお金の気配が関わってくるからかもしれない。

 

 日本人は、お金のことを言うと卑しいと考える先入観を数百年規模で植え付けられて来ているから、お金をあからさまに扱うと眉間にシワを寄せがちな気がする。しかし能力があればある程度稼がないと(森の中で暮らしてそこから出てこないのであれば別かもしれないが)、大切な誰かが困ったときに単純に助けられない可能性が高くなる。子どもの能力やポテンシャルに相当するチャンスを与えず見送らざるを得ないことだってあるかもしれない。そして何より収入が高くなるほど、品性が高くなる傾向がある。コンビニでは、取っ手があるのにガラスに手をべったりつけてドアを開ける人が珍しくないが、高級なホテルでそういうことをする人は比較的少ない。バーでもラウンジでも誰も大声で会話をしない。もちろん金持ちでもゴミみたいな品性のかけらもない人間はごまんといる。本当に。でもお金がない人のほうが全体的に見れば品性とかマナーは低くいのは、否定し難いではないだろうか。本当にそうか否かということを問う積りが今はないし、その是非についても追求したいわけではない。ただ僕が人を見て内心で「安い・高い」と直感的に感じて、その言葉を遣う背景には、安いところでは粗野な人が多く、高いところでは品性が「比較的」高い人が多い、という経験がある。

 

 以上が前置きになるのだけれど、姿勢や歩き方が悪いと「安っぽく」見えちゃうよ、ということが今回語りたい主題である。服や靴、時計やバッグなどアピアランスにしっかり気やお金を使っても姿勢や歩き方が悪いと「安っぽく」なると僕は思っている。

 今から触れるとある店でみかけた一組のカップルについて前置きしたいのだけれど、彼らを何かしら糾弾したいわけでも非難したいわけでもない。隣の僕らにも他のお客にも迷惑をかけたわけでもない。何も悪いことはしていない。僕ら(というのは僕と妻)も彼らのせいで気分が悪くなったわけでもない。だから悪くいうような感じにはなると思うのだけれど、非難はしてない。そこは誤解しないで欲しい。と断った上で、

 店に入って彼らの隣に座るときに気がついたのは、女性の姿勢が良くないということだった。綺麗でタイトなワンピースを着ていて、少しミニスカートぎみになっていることもあってなかなか魅力的なアピアランスとも言えなくもないと思う。髪もちゃんとボサボサしたりなんてしていなかったし、臭くもなかった。姿勢以外は見た目は何も悪くなかった。しかし姿勢はゲームをしている中学生みたいに猫背だった。冒頭のマーロウではないが、なかなか興味が急減した。(妻といるのに他所の女に興味を持つことからして間違っていると言われれば、反論したいが僕は妻を愛しているが、目に入る女性を見ることを控えることはできないほど女の人が好きである。もう人格の問題であり、そこは是正するつもりがない。)蛇足を括弧で語ってしまったが、姿勢が悪いというだけで、安っぽそう=つまらなそう、なのである。

 次に気がついたのは、良席(そのときは奥側の席)に男性が座っているということである。若くもなく、四十代中盤から後半にかけた男性がである。しかもボッテガ・ヴェネタの財布だったから、ある程度金に余裕もあるはずである。若い女性を手前に座らせ、自分がしれっと奥側に座るというのは、こちらも「さもあらん!」とばかりに安っぽくみえる。

 

 その店は、人気の店で予約なしではあまり入れない店で、さほど高くないのにものすごく美味しく、そして接客も素晴らしいところだった。雑誌にもよく出ているのか若い女性客も多かったが、基本、お客さんは皆マナーをちゃんと心得ている人が多い。人気がゆえに多様なお客さんが来店するようになっていたのかもしれない。

 

 あらためて断るけれど、彼らを非難はしていない。だれにも迷惑はかけていない。勝手に男性が良席に座って、勝手に女性がそういう男性と一緒でもしかたないかなーと思わせるほど姿勢が悪かっただけである。僕が今回言いたいのは、彼女の姿勢を見て一緒にいる男性をみて、「さもあらん!」と思ったということである。姿勢が悪いと品性の低い男性と一緒にいるのが「お似合い」に見えてしまう、ということである。

 

 学校でも会社でもあんまり学ぶ機会がないが、姿勢や歩き方が、傍目に安い・高いを判断される材料になり得るんじゃないかな、ってことを言いたいのである。だからうちの中でも外でも姿勢は重視すべきである。しゃがみ方ひとつで、優雅だったり、がさつに見えたりする。ヒールは日頃から履きなれておいたほうが良い。ならばどんな姿勢が良いのか、ということになるが、それはもう「良い姿勢ってどんなんだろうか?」という目でリッツ・カールトンでもパークハイアットでも(帝国ホテルは人が多すぎるからお勧めしない)良いホテルのラウンジで行き交う人達やホテリエの所作をみていると自ずとわかってくると思う。たんなる安く見えないということ以上に、良い動きをする人は、示唆的で、それはやや色気も含んでくる。だから男女ともに良い姿勢であることを口臭と同じくらい気を遣ったほうが良いと僕は思っている。

 

 ちなみに先のカップルの男性は、お会計のときに大きな声で「すみませーん!」と叫んだ。居酒屋ならぜんぜん良いのだけれど、小さくも素敵なその店でそれはしてほしくない。他のだれもそういうことをしないように気を遣っている。声をあげるというとは、店の人が客に目を配りきれていないというような意味に取られるし、何より客も店の人たちもちょっとした目配せでやりとりすることに「自分が今素敵な空間にいる」ということを楽しむことができているのに、それをぶち壊されるからである。素敵な店は、店の人たちと客が一緒になって作るところがある。そういう店では「すみませーん!」と声をあげちゃいけない。空気を安くしてしまう。もちろん、店や周りが安くなるわけではない。素敵な空間に水を注さないでくれ、という意図で言っている。これは余談のパラグラフだけれど。でも強く言いたい。強く言いたい余談である。

 

 寝相なんてどんなにひどくても許されたいし、許すべきである。いびきも。寝ている間に鼻をほじってもである。でも起きているときであれば、きりっとした姿勢でいたいし、いて欲しい。綺麗に歩いて欲しい。誰も見ていなくても。自分は見ているから。自分が自分を素敵であると思得る根拠を増やすことはとても良いはずである。