シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

見えない部分を含めた見た目

f:id:greedproject:20180403202547j:plain

仕事上で人に会うことが最近とくに多い。
 
人に会う機会を重ねれば重ねるほどに思うのだけれど、自分の見た目に気を使っている人とそうではない人の間には広く深い堺がある。
 
見た目に沿うかたちで、見えない部分もまた同じように差が大きい。
 
 
経営者も含めて会社に属している方は、企業の雰囲気に収まるかたちで上下差は激しくないが、フリーランスなど個人事業主は顕著に差が出てくる。ちゃんとしている人はすごくちゃんとしており、ちゃんとしていない人は、とってもちゃんとしていない。思うに、クリエイターの方々は、自分が制作するもの(デザインなど)へは意識をフォーカスすれど、そのぶん、自分自身へはあまり注意を払わなくなるのだろう。愛情もそうだけれど、注意もまたもっている総量のようなものがあって、片方に注力するともう片方がおろそかになりかねない。だからか、おしゃれなデザイナーは少ない。
 
「おしゃれ」というとまた違ったニュアンスが発生するから、換言すると自分の見た目に気を使っている方は少ない。
 
そういう方々を見るともったいないなぁと強く思う。「人は見た目が九割」という本もあるくらいで(この本は強くオススメしてはいない。でもタイトルは本当にそう。8割くらいかなーとは思うけれど)、見た目がちゃんとしていないと仕事がしづらくなる。例えば、その方をチームとして迎い入れたときに、他のメンバーやクライアントに会わす機会が生じることになる。そういうときに、その人を他の方々がどういう人なのか察するのは見た目からである。経歴や実力などはもちろん大事なのだけれど、「見た目をおろそかにする人である」ということは確定されてしまう。ちょっとそれは困るわけである。
 
くわえて、見た目を疎かにされる方は、姿勢や匂いにもあまりエネルギーを注がないことが多い。姿勢が悪いのもあまり良い印象を得ないが、体臭や口臭がよくないと、それだけでより仕事がしづらくなる。仕事に限らないだろう。遊ぶために集まるにも、声がけがいくぶん気が進まない。
 
そしてやっかいなのが、見た目や匂いなどは、本人にはとうてい言えないということである。そこそこずばりと言うようにしているほうだが、それでも「あなた、少し口臭いですよ」とか「服装もうちょっとちゃんとしたほうがいいんじゃないかな」とは言えない。伴侶やパートナーなら言えよう。すごく親しい友人にも頑張って言えるかもしれない。しかしそれ以外の方々に、そういうことは言えない。
 
つまり自分で意識する他ないのである。
 
僕自身だってすごく口が臭かったり、体臭がきつかったりするかもしれない。その辺は伴侶に常に確認して、一応安心はしている。それでも油断することなく、口臭体臭姿勢などの見えない部分も含めた見た目には気をつけている。
 
そういう意味では、ホテルはとても良い進化圧を提供してくれる。「進化圧」とは進化を促すプレッシャーである。ちゃんとしていないと居心地が悪いから。良いホテルのバーも良い。ちゃんとしていれば、ちゃんとしている人として扱われる。またホテリエたちの態度よりも、自意識が活性化される。自分が大丈夫かどうか気になるから。
 
スーツを着ているのに、肩がけのカバンを使っているとスーツにシワが寄ってしまう。だからちゃんとしたビジネスパーソンはみな手提げのカバンを使用している。靴は綺麗に磨いている。女性ならヒールを履いている。すごく歩く仕事の場合はヒールは厳しいかもしれない。そんなときは勘案していい妥協点を見つけることだろう。いずれにしろ、ちゃんとしているかどうか、というのは見た目でわかる。だからフリーランスだろうが、ちゃんとしていたほうが良い。
 
個性を売りにするような方々は、エキセントリックな見た目の方もいる。でも、それでもちゃんとしている方はちゃんとしているし、そうではない方はちゃんとしてない。大柄な態度をとったり、あまり美しくないこともある。
 
どこでどう、このちゃんとしているとしていないが分かれるのかというと、意識していることを前提としながらも、詰まるところは「美意識」を自分でちゃんと育んでいるかどうかに拠るのである。
 
 
高い服を着るべき、という話ではない。安い服で良いから清潔感のある服を着ていることが望ましい。口は臭くないほうが良い。姿勢は良いほうが良い。しずかな笑顔を携えられればなお良い。見た目からは、思いの外、その方が、どんなふうに生きていたいのか、生きてきたのか、垣間見ることができるのである。