シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

Let's get physical.

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 世の中の人はおおむね忙しいから、運動をしている人は比較的少ないと思う。寝る時間を少なくともある程度確保したらもうあとは仕事かあるいは家庭への時間で24時間オーバー気味だと感じてしまうのではないだろうか。

 

 でも、「ようは」という視点で生命や人生を眺めると、それはスティーブ・ジョブズの言う「今日死ぬとして何をするのか」という自問と同じであり、ガンジーの言う「今日死ぬとして行動し」と同じなのだけれど、一等に大事なものは何か、と問えば、天涯孤独でないはとき、たぶん愛する存在たちであろうし、社会に対して使命を感じてる人たちであれば、その使命を考えるだろう。それは三日三晩寝ずにやれば守りきることができるものでは、ない。だいたいの場合は数十年大切にし続けなければならないだろう。自分ももちろんそこに含まれる。我なくして何を為すのか、というわけであるから、自分も大切にしなくてはならない。

 

 そう考えると肉体というものは、おざなりにはできないことになる。遠くまで進みたいと思うものが、例えば車に乗るとして、ガソリンや車の状態をおざなりにしては、進みたい場所まで進めないリスクが増えてしまう。

 

 だから身体は大事で、そのために運動すべし!と言いたそうで、ちょっと違っていて、運動を通して得る感覚のことを今日は述べたく、それは何かというと意外なことに、自分の輪郭に触れるような、アイデンティティに関わってくるのである、ということになる。運動は。

 

 どこまで走れるのか、どれくらい走れるのか、つらいのか、楽しいのか、走れば走るほど、思考は後景に溶け、自分の中心が身体に寄り添うように純化していく。それは、たぶん良いことなのだと思う。自分が生きていると感じることができる。

 

 僕は、さほど上手ではないのだけれど、ボルダリングというスポーツを週一楽しんでいるのだけれど、それは何も点けずに落ちてもさしてケガをしない程度の壁を登るスポーツなのだけれど、それをやっているとイメージした動きができない自分を知り、少しずつイメージどおりに動けるような成長も楽しめる。同時に、油断すればけっこうなケガもしかねないので、生命の危険(大げさに聞こえるかもしれないが、足を滑らせててしまえば、手がホールドから離れてしまえば、落ちてしまうという状況はなかなかの恐怖なのである。

 

 このスポーツの楽しいところは、まったくもってどうやったらできるのかわからないという課題が、出来るようになるという小さな経験を積み重ねられるということである。「私には無理!」というのは課題は優しすぎ、優しすぎるくせにぜんぜんわからない!わかってもなかなかできない!というフィジカルをともなったメンタルの経験は、自分の生命に対して、ある種のタフネスを与えてくれるようになる。

 

 肉体と精神のつながりをリアルに感じるようになる。健康至上主義を謳いたいわけではない。自分の限界を知り、それが拡張されていく実感は、心にエールを送ってくれる、それはゲームのように研鑽したぶん実直に成長を保証してくれるかに見え、やった分だけってこともなく、保証がないのに、ある種の予感だけたよりなさげに与えてくれて、それをちょっと馬鹿みたいに信じたときだけ、成長が気まぐれに顔を出してくれる。

 

 知性、知力の鍛錬に読書や勉学が有効ではあろうけれど、あべこべにおもうところがなんとなくあって、知性を磨くのに肉体を、肉体的な進歩・改善には知性が、役立つ、という具合があるように感じる。『The Patient as CEO』という本を書いたロビン・「ファーマンファーミアンという若い女性は、自分のクローン病に苦しみつづけた結果、自分で医療の最先端を研究しはじめて会社までつくってしまっている。

 

 

 自分で書いていて、そこそこ意外な結論になったのだけれど、欲しいものと違うものとこらから得るものを重視したほうがいいじゃないか、という結論を述べたい。仕事の知識が欲しい時、フィクションとか科学や宗教の本から学ぶことがありえるし、運動について何をえたいとき、経営学から得るられることがあったりする。たぶんそういうことをすると自然、視野が広がるのだろう。だから忙しい人ほど、僕はなんとなく運動をしたほうが良いように思う。それが健康に良い悪いということではなく。

 

 僕らも愛おしい人たちも嫌いな人たちも皆、死ぬ。その事実は、生命の密度を高めてくれるのだけれど、肉体の主張は、自分たちの輪郭と現状や限界を浮き彫りにしてくれる。触られて自分の身体の温度を感じるように。世界と自分の境界線を知り、それが広がる感覚は、けっこう生きるヒントを僕らに与えてくれるんじゃないかと思う。