シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

メンタルは肉体より大事だろう

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 日本人は、たぶんだけれどメンタルの部分を直視するのを、欧米人に較べて、避ける傾向があるように思う。心のケア、なんて受けなきゃいけないってことは、すでにメンヘラということになって、社会的に敬遠される存在と思われかねない、と考えているのではないだろうか。旧態依然にすぎるのでは?と思われるかもしれないが、実際のところ、思った以上に旧態依然であり、目に見えないからか、触れてはいけない領域として扱われている。

 

 という前提が、状況を悪いまま放置することになっている気がするのだけれど、私たちは、心を大切にするということをけっこうおざなり……というよりは、なおざりにしている。

 

 心を病んだしまったり、病んでしまった人を近くで見たことがある人は、分かると思うのだけれど、治すがなかなか大変である。何年もかかったり、なかなか完治しなかったり。そうするけっこうな寄り道をせざるをえなくなる。それを避けるために、まわりや常識に囚われず、せめて自分だけでも自分の心は大切にしたほうがぜったいに良い。

 もしもう病んでいるもしれない不具合を感じたら(肉体的に現れることもあるだろう)、複数の病院にいってみちゃったほうが良い。その際、病院や病気について、いろいろと自分で調べることも大切だ。『The Patient as CEO』の著者、ロビン・ファーマンファーミアンさんは、難病にかかって大変で、医者たちの言うことに耐えられなくなって、メディカルチームを解散させて、自分で徹底して調べてから、またメディカルチームを再編した。そうして治療法をがらっと変えて、日常的だった苦しみから開放されたそうである。だから、自分で徹底して調べるってことは大事で、医者が最新の情報に精通しているとは限らないのである。彼らは忙しすぎるかもしれないが、医療の常識はものすごい速さで変化している。そんなわけで調べて、複数の意見を聞いて、というのがとても良い対処だと思う。英語でよければ、興味深いアプリやサービスがいっぱいフォーブス日本版の10月号に載っている。

 

 もし病んではいないのであれば、日頃から心のことを大切にするように心掛けたほうがずっと効率が良い。太るのと一緒で、太ってから痩せるのはものすごく大変だけれども、太らないようにするのは、それほど大変ではない。同じように、心が参ってしまったあとは大変だけれど、参らないように心がけるのは、それほど大変ではない。

 

 タイトルでは、肉体より大事と謳ったが、心も身体もだいたい同じものだから、どっちも大事で、心を大切にするためにまず何よりも大切にすべきなのが身体である。ちゃんと寝て(7時間くらい)、毎日散歩するだけで、いろんな病気(肉体のものも含めて)を避けることができるようである。「そんな時間などない」といって、無理をして心がだめになってしまっては、仕事も家庭も結局壊れてしまいかねない。バフェットを読むまでもなく、ちょっとさきのことを考えてみたほうが良い。寝ないで頑張るのが一所懸命ではぜったい無い。あなたが生きるか死ぬかの手術を受けるときに、医者が壮絶な手術をいくつもこなして4時間しか寝ていない人だったら、絶対いやなはずである。良い仕事をする人は、ちゃんと寝ている。例え、秋元康がぜんぜん寝ていなくっても、だからと言って寝なくても良い根拠にしないほうが良い。ギリギリまで追い込んで見えるものもあるかもしれないけれど、たぶん違うと思う。ちゃんと寝て、ちゃんと食べて、できるだけいっぱい笑って(作り笑いだっていいそうである)、運動をした上で、一所懸命になるべきである。

 運動に関しては、身体に良いのか悪いのか、諸説がありまくりなのだけれど、僕が読んだ『脳を鍛えるには運動しかない』は、なかなかおもしろく、それによれば有酸素運動36分を週6回だったかな? が最良だとか。いずれにしろしないよりしたほうが良いとのことで、僕は今暫定的にではあるが、ジョギングをできるだけ7キロ毎朝、週2回プール、月曜日の昼はボルダリング、月1、2回はキックボクシングのパーソナルトレーニングを受けている。

 思い込みもあるのかもしれないが、そして思い込みであっても、なんら問題ないのだけれど、やっぱり運動している方が、心が元気である。

 

 「我慢するのが正しい」という世界観は、僕らは教育の過程で洗脳されがちだけれど、できるだけ早々に捨て去ったほうが良い。ストレスというものは、だいたい良くない。適度なものは良いこともあるが、基本的に良くない。ストレスに勝つのは、使命感である。それがあれば、過酷な状況でもけっこう元気でいられる。とは言え、何も無理に過酷にならなくても良いはずだ。

 私はデザインの仕事をしているのだけれど、お客さんのひとつに残業をまったくさせない企業があるのだけれど、そこの企業の方々は仕事がすごく速い。その企業との付き合いから、私は仕事をちゃんと効率よく進めるには残業してはいけないほうが良いのではないか、と思うようになった。正解だと思っているのだけれど、それは過酷ではないはずで、でも一所懸命ではあり、そして良質な仕事をする環境でもある。だから、自分を追い込むのが理想の姿勢だという考えは、ちょっと違うかも?と思ったほうが良い。時間を制限することを「自分を追い込む」と言えば、そうなるけど、「徹夜してやりました!」という仕事は、私からするとクオリティに疑いの目を向けたくなるものでしかない。ちゃんと寝て、ちゃんと食べてやってくれた仕事のほうが信用できる。

 

 私たちは、思ったよりやっかいな思い込み教育を受けているので、都度都度疑ってかかったほうが良い。学校の教育というものは、むしろ疑ったほうが良いものばかりだと思っている。一方でリカレント教育という大人になってからの教育・学習がとても重要になってくるだろうと思っている。社会に出てからの方が、勉強すべきことが多い。たとえば、この「メンタルを大切にすべき」ってことなんて学校では教えてくれない。異性の口説き方も教えてくれないし、段取りについても教えてくれない。お金の扱い方、喋り方も教えてくれない。縄文時代についてなんて何一つ知らなくて良いが、明治前後の歴史はとても重要だし、アメリカがしてきたこともかなり知っておいた方が良いし、キリスト教の文化や脈絡を知っていると映画、文学、演劇など理解できる部分がすごく増えてくる。

 

 そんなわけで、心を鍛えるためには、いっぱい本を読んだほうが良い。それも読みたいものに加えて、他の人(尊敬できる人が良い)が読んでいる本も読みたい。小説から学術書、ビジネス書、詩などいろいろと広く。私たちは、フィクションや歴史などいろいろな視座から、世見や自分を見ることができるようになればなるほど、健全になり、且つ生きていることがおもしろくなっていく。

 

 心というものは、本当のところ世界の全部である。人からの心がなくなれば、この世界は消える。肉体も現身もみな心あって意味をなしている。なのに心を蔑ろにするのはおかしい。そして逆説的だけれど、心を鍛えるには、身体を鍛える必要がある。身体を労る必要がある。何はともあれ、ちゃんと寝ることであるし、それからちゃんと食べること。食べてもあまり太らないで済ませるために、筋肉をつけること。それから本をいっぱい読むこと。おもしろい人に会うこと。そしていっぱい笑うこと。

 

 あなたが元気なことで、救われる人もいるし、良い仕事が増えるし、世界はより良くなる。そのほうが良いでしょう。