シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

シャンパンは安い

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ブログタイトルにもあるので、たまにシャンパンの話をしたい。シャンパンは比較的高いワインである。泡のないワイン(スティル・ワイン)は、安ければ1000円以下で購入できるのに、シャンパンはすごく安くてもだいたい3000円以上する。その辺のスーパーで購入するならだいたい5000円前後くらいする。ワイン専門店に行けば、平均価格はもう少し上がる。なぜスティル・ワインより高いのかというと手間がかかっているからである。シャンパンはスティル・ワインを作ってからさらに泡をつくるための発酵を瓶のなかでしなくてはならない。それに15ヶ月は熟成させる時間を義務付けられている。これを守らないと「シャンパン」と名乗ってはいけない。そんなこんなでシャンパンは多くのスティル・ワインより高めにになる。それをなぜ「安い」というのか、というのが今日の話である。

 

その前に1つ余談を許してほしい。安い方に目を向けると上記のようにスティル・ワインよりシャンパンのほうが高いが、高い方に目を向けるとスティル・ワインのほうがものすごく高いものが多い。田中康夫氏の小説『なんとなくクリスタル』のタイトルにはるクリスタルは、ルイ・ロデレールというメゾンが作っているプレスティージュ(より高品質なライン)のシャンパンの名である。このクリスタルはヴィンテージにもよるが、3.5万円くらいで購入できる。高いけど。その一方で、ナパバレーの高級ワインであるオーパスワンは4万以上、ボルドー5大シャトーのひとつ、シャトー・マルゴーなら8万くらい。ボルドー最高峰と謳われるシャトー・ペトリュスなら最近のヴィンテージでも30万以上する。※価格はワインショップのエノテカのウェブサイトで確認。10万を超えるシャンパンはそんなにない。高級でかつ有名なシャンパンは5万もしないで購入できる。そんなわけで、本当なら、そう簡単にはスティル・ワインよりシャンパンのほうが高い、とは言えない。でもまあ上の方にそんなに目をむけなければ、シャンパンのほうが高いって言ってよいだろう。というのが余談。

 

シャンパンをなぜ安いというのか。まずこの話に「デートのお供として」という条件を追記したい。安上がりだからシャンパンでデートに誘う、という考えに落ち着いて欲しくないが、コストパフォーマンス以外にもいろいろ素敵な副産物が含まれるからおすすめしたい考えとして開陳したい。シャンパンはどういうときに飲むのかといえば、開けたら飲みきらないといけないこと、高価であることなどから、お祝いの場が多いだろう。それをデートで飲むということは、相手といることを祝うほどありがたく思っている、という意思表示となる。「高価なこのお酒を開けるのにあなたは見合っています」と言っているわけである。だからデートにシャンパンを飲むのは、なかなか素敵な行為と言える。しかし随分高くついてしまそうである。レストランではワインの価格は2倍に、良心的なところでも1.5倍くらいになる。それでもレストランで飲むのは、それに見合った空間や料理を得ることができる。

 

のだけれど。スティル・ワインは、料理と合わせたり、抜栓してからの時間で味が変わったりと大変奥が深いが故にソムリエやレストラン側に任せる必要が多いその一方でシャンパンは温度と開け方くらいにしか気を使わなくて良いワイン。つまり自宅で開けることが容易である。素敵なホテルやレストランで食事をしてもかまわないけれど、そのくらいのつもりで用意した予算以下で、素敵なシャンパンとグラスを用意して自宅で飲むのは、なかなかの贅沢になるのではないだろうか。

 

さてそれはちょっと残念か。自宅だとそんなにムードがないだろうか。しかし自宅でシャンパンを開けて飲むということを考えて自分の家や部屋を考え直すというのはどうだろう。おもったより面倒な話になってきた感は否めない。しかしラブホテルという直接的すぎる施設の存在をロマンスを高める思考のもと無視したい僕としては、自宅がデートの場になることを想定すべきだと考える。たとえ狭くとも、綺麗に片付いていて、いい匂いがして、冷たくて明るすぎる蛍光灯ではなく、温かで穏やかな灯火で照らされた部屋ならそう悪くはないではないか。そもそもデートで自宅に呼びにくいという段階かもしれないが、それなら昼間に呼べば良い。ちょっと良いシャンパン(わかりやすくドン・ペリニヨンなど)を購入して、うちで飲もうという誘いを考えついてみると、今度は部屋をより良くするための工夫をせざるを得なくなる。誰かが、それもとても好きな誰かが来る場所と考えると、家具をホコリまみれのままにするわけにはいかなくなる。洗濯物をその辺に散らかすわけにもいかなくなる。トイレもキッチンもお風呂も綺麗にしなくてはいけない。それはコストがかかるものというよりも、実生活をより良くすることに含まれる。素敵なレストランで食事ももちろん大事だけれど、自宅でシャンパンを開ける、と考え始めると、単にコスパの問題というよりも、ロマンスにかこつけて自分の人生がより良くなる副作用が多数発生する。

 

今までの話は、実のところ男性主体で書いてきているが、女性にも当てはまる。何もデートに誘うのは男性と決まっているわけでもない。レストランでの支払いは男性がするものとしても、女性が男性を自宅に招いて、そこで素敵なシャンパン(例えばペリエ・ジュエのベル・エポック)を開けるというのは、やっぱり大変魅力的なものである。良いシャンパンを開けて飲むなら、ちょっと良いグラスで飲みたくなる。このブログで使っている写真のグラスはリーデルシャンパングラスで2脚で4000円弱。さほど高くもないが悪くないグラスである(さらに良いグラスが欲しくなったら、奮発してロブマイヤーになるか。洗うのが怖いけれど、シャンパンがとても美味しくなる。バカラも良い)。ちょっとムードのある照明をと考え始めると天井についている蛍光灯ではない照明が欲しくなる。天井ではない場所に設置する照明の多くは橙色の灯火で、それは実のところ焚き火を何万年としてきた人間が落ち着く色であり、しかも下からであればなおさらで、自分も含めて人が落ち着く部屋にしてくれる。次にいやらしくもベッドについて考えてみたい。パジャマなどを着る習慣のある日本人は、綺麗好きだと自覚している割に、裸で寝る傾向の高い欧米人にくらべて寝具周りを洗わないそうである。一人で寝るなら、別にかまわないけれど、誰かと寝るならば、やっぱり布団やまくらは綺麗でいたい。僕はそこそこ潔癖症なので油断した他人のベッドではあまり眠れないのだけれど、相手が僕のようにそこそこの潔癖症であるかもしれないと考えれば、なおさらである。ベッドのことを考えるなら、シャワーやお風呂のことも考えることになる。ときどき風呂場がカビだらけの(特に男性の)家をみることがあるが、そんなのはロマンスどころの話ではなくなる。ロマンスのためには安心して入れるお風呂場であるべきである。またきれいなだけでなくて、生活感もある程度排したい。洗剤やスポンジが真っ先に目につく浴室はちょっとこう盛り上がらないものがある。しまうなり、目についても良い気配にするなり、工夫したくなるだろう。そして匂い。自分では慣れて気づかなくなりがちだが、入った途端にその人の匂いでいっぱいの部屋というのは居心地が悪い。人の脂の匂いも、なんだか良くわからないものの不快な匂いももちろん嫌だ。ちゃんと掃除して洗濯するという習慣で、部屋の中には居心地の悪くなる匂いがないようにしたい。芳香剤でごまかすのは、言語道断である。安っぽいから。

 

そんなこんなで「レストランに行くよりも安くすむかもしれないからシャンパンを買って自宅で飲もう」と考えたとたんに、サステイナブルなロマンスの環境を作る羽目になる。それが良い。というのがこの話の結論である。部屋に呼んだり、呼ばれたりした途端に消えるロマンスはうちに持って帰って来られない。素敵なレストランで素敵な食事はとても良いが、そこからの続きには自宅になる。そこで冷めたりしないように、自分の日常にロマンスを持ち込める環境づくりのきっかけとして1万ちょっとくらいするシャンパンを買って冷蔵庫に入れる、というのは、実に安いお得な行為だと僕は思う。