シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

食の領域

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 音楽や酒にもあるっちゃあるけど、食ほど、見えない、語られない、それでいてけっこう厳格なレイヤーというか境界線があるものはない。この境界線について語られることは、なかなかないように思うので、少し触れてみたい。

 

酒なんかは、今回言わんとする境界線についてわかりやすいだろう。大学生の酒についての知識と四十前後の大人のそれはずいぶんと異なるだろう。それも、たぶん所得が多い方になればなるほど、知識の幅は広がる。というのも、大人になればなるほど、欲と関心の矛先が筋肉(ほんとに!)と食にフォーカスされていくものだからだ。筋肉はさておき、食に楽しみを見出すように徐々になっていく。セックスも一通りしてきたら、そんなに強く版図を広げんとする欲は落ち着いていく。贅沢と自信は、やや相反するところがあり、自信がつけば付くほど、虚栄心が減るので、ほどほどの贅沢で良くなる。しかし、美味しいものを食べたいという欲は、そうそう減らない。金銭的余裕があればあるほど、それを追求するのが容易になる。高級な領域から着手できるし、良いレストランに行きやすい環境があるから。

 

 ちょっと前置きが肥大してきたから、結論から遠のくから先に結論を書いておきたい。明確に語られることのないままに食のスタンダードの違いが、その人が属している食の領域を思っている以上に切り分けられる、という事実があるぞなもし、というのが結論。知識の上位が下位を切り捨てる;自分の属している領域とは違うのだなと諦念側にカテゴライズされてしまう、ということである。

 

 ということを知っておいたい方が、若い子なんか特に、たぶん良いじゃないかなという老婆心が、今日これを書いている動機である。選民思想でもないし、食に造詣が深いほうが偉いというわけでもない。ちょっとは、詳しい人のほうがそうじゃない人より人生が豊かだろうにと思うところはあるけど、上位が偉くて、下位が愚かじゃ、ということが言いたいわけじゃない。アクセントでどこの大学出か分かるようなイギリスの見えない不文律みたいなものが、食にある、ということを喧伝したいのである。

 

 酒がわかりやすいと先に触れたけれど、ビールだ、ジントニックだ、カシスなんちゃらだというのが大学生たちがカラオケボックスや居酒屋経由でぼやっと頭にある酒の知識だろうとして、大人になって少しずついろんなことを覚えていく。ウィスキーだったら、シングルモルトやブレンドしたものを知ったり、産地での味の違いなども知っていくだろうし、ビールにだって多くの種類があることを知り、知った結果、好みが生まれたりするだろう。こういうのはわかりやすい。もっとわかりやすいのは(だったらそれについて例えを終始させろよと思わるならば、いやはやその通りです。さっきは思いつかなった。)、コーヒーで、インスタントコーヒー→スーパーで買えるようなもの→カルディで買えるもの→スタバ→スペシャルティコーヒー→(値段でいえば)川島良彰さんの空輸してくるシャンパンボトルに入ったコーヒーといった感じで、レベルみたいなものの違いがある。スタバでコーヒーを飲む人は寛容な人も多いだろうけれど、スペシャルティコーヒーを専門店で買う人の多くは、おそらくインスタントコーヒーやカルディのコーヒー(カルディのコーヒーが駄目ってわけじゃないんだけど、金額が2〜3倍違うから、やっぱりその分、素材や手間暇が変わってくるから、スペシャルティコーヒーのほうが美味しいよね)をできるだけ飲まないだろう。でも、コーヒーのレイヤーって、異なる者同士が、それほど厳格に相手を自分とは違う領域の人として切り分けたりはしないだろう。比較的。しかしこれが食ってことになってくると、とたんに厳格になる、気がする。

 

 美味しいものが好き歴を重ねるとある時点で、化学調味料を受け付けなくなる。化学調味料を使わない食生活を送り続けると、化学調味料の入った食べ物を食べるとそこに明確な違和感を覚えるのだ。例外もあって、ノスタルジアに含まれる化学調味料はときおり恋しくすらなる。例えばカップラーメンとか、チキンラーメンとか。ときどき食べたくなる。それは、そういうものを食べた楽しい記憶が作るノスタルジアがあるからだ。それに、たぶん厳格に「NO! 化学調味料!」という自分がなんかだつまらなく感じるというニュアンスもある気がする。しかし基本的には受け付けなくなる。

 化学調味料を基本的に受け付けなくなった人(仮に「ナチュラル系」と呼ぶ)とぜんぜん受け入れる人(仮に「ケミカル系」と呼ぶ)の間に、見えないのに明確な境界線が引かれる。それはナチュラル系が、ケミカル系に対して引く。

 ナチュラルがケミカルを化学調味料を使わないレストランに誘っても何も問題は発生しないだろう(強いて言えば、客単価の感覚のずれという問題は生じえる)。問題が発生するのは、ケミカルが「ここ美味いんだよ!」と言って、化学調味料をバリバリつかうレストランにナチュラルを誘ったときである。そこでナチュラルはけっこう参ってしまう。普段食べないように避けているものを、友人が「美味い!」と言って食べて、勧めることに困惑するからだ。

 

 というような境目が、けっこうある。結果、ナチュラルはナチュラルな友だちを作る(選び)、ケミカルはケミカル同士で食事に行くようになる。ま、勝手にそうればよろし、と思うし、思われるだろう。でも、これ恋愛のなかではけっこうとっても重要な知識になる。恋愛とはいつも少し自分より上の人に向けて恋心を抱きがちなものだけれど(たぶんね)、仮にあなたがそのときケミカルで、相手がナチュラルだと最初のデートなどでその境目が現れてしまうと恋愛候補者として失格になりえるからだ。仲良くなってからなら食の問題は、頑張って解決しようとするだろう。しかし冒頭でこの境目に触れてしまうと助走がないぶん、離れて行かれやすくなる。

 

 だから、こういう領域の違いがあることは知っておいたほうが良いのだ。安くて美味しいものはいっぱいある(レストランの話になると味だけではなくって違う要素も多くなるのでややこしくなるからおいておくけど)。高いのが良い!ってわけじゃない。安い居酒屋だって美味しかったり、楽しかったりするところは本当にゴマンとある。化学調味料が悪!ってわけじゃないのだけれど、例として扱いやすかっただけだが、その有無が引くラインがある。

 

 ということを知っていると何かと便利というか、ほんの少しだけ生きやすくなるんじゃないかと思う。バターしか使わない人にマーガリンを使ったサンドイッチを食べさせてもあんまり喜んでもらえないかもしれないのだ。いやマーガリンが悪いってわけじゃないんだけど。ただ、領域みたいなものがあるんです。ほんと。