シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

「出会いがない」という人が買う宝くじは当たらない

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 結論から書くと、「出会い」は、ちゃんとあるのに、「出会いがない」という人は、ないところでばかり探している、出会いを見つけるということはさほど難しいことではない、のに、という話である。

 

 たとえば、合コンである。今では、少なからずの若者は合コンよりアプリを使って出会うそうだ。どっちでも良い。アプリもある意味では似たようなものだ。合コンというのは、それそのものを楽しむという人もいることだろう。自己紹介から複数のなかでより良い成果を得ようとするゲーム、またはその場の交流の面白みは、ある意味政治的な駆け引きが醸している部分もあるかもしれないが、人を魅了することもあるだろう。そういう知略遊びが好きな人を除いて、あわよくば素敵な出会いがあれば良いのに、と願って参加する人に向けて言うのだけれど、合コンというのは、基本的に「誰がいるかわからない場に赴いて、その中で比較的良い人を見つけるという効率の悪い企画に、貴重な時間を使ってしまうやや残念は人たちしかこない場所」である。Cクラスから比較的Bクラスに近い人を探すようなものである。母数からすでに選べないわけだから、ずいぶんとひどい過酷な環境に身をおくようなものだ。就職活動で言えば、どの企業がそこにあるかわからずに、3、4社しかこない説明会に赴いて、そこで就職先を探すようなものである。しないでしょ? 世間知らずの学生ですらそんなこと。人員を募集している企業をいろいろな方法で探して説明会などに赴いたりして、応募するでしょ、たぶん(僕は就職活動をしたことがほとんどないので推測で言ってる部分が多いけど)。

 

 付き合うかもしれない相手とかセックスするかもしれない相手は、最初から選ぶべきだろう。合コンなんて(合コンで素敵な出会いがあった人に対しての悪意はない。そういう方は、運が良く、運を引き寄せるほど日頃の行いが良いかすごくポジティブなのだ。ポジティブだからどんな相手でも満足する、というわけではなく、ポジティブな人間は、運を引き寄せる力を持っている、のだそうだ。中野信子さんの著書に書かれていた。気がする。)、あまりものから比較的まともな人を見つけるようなものである。

 

 そんなことはない、合コンにはかわいい子だってイケメンだってくることはある!と反論する方もいるかもしれない。(話の途中だけれど、僕も合コンには行ったことがある。3回くらい。だから自分を棚に上げているつもりはない。)でも、モテてる人(魅力がちゃんとある人)が、合コンなんて非効率な場に来るだろうか。頼まれて行くとか、世見を知らないから来ちゃうとか例外は探せばそこそこ見つかるだろうが、モテているなら、そんな場に行かずに、素敵な人を直接見つけて、その相手と仲良くなることだろう。だから本質的には、モテる人は合コンには行かない。

 

 

 ハイスペックな男性が来る合コンなんてもときどき耳にする。医者や弁護士などの高収入(アナリストのほうがずっと高収入のことも多いけど)の男性ばかり参加する合コンである。しかし、考えてみて欲しいのだけれど、医者や弁護士でもなんでもいいけど、知性も高くて高収入なのに、付き合う異性ひとりちゃんと自分で見つけられない人ばかり来るわけである。高いハズレくじばかりのくじ引きみたいなものじゃないだろうか。あわよくば結婚なんて考えての参加だとすれば、もっと悲劇的な将来が待っている。金もあるのに、女の人を口説く知力も度胸もない男が、よりよい家庭を築けるのだろうか。かもしれないけど、可能性は低めじゃないだろうか。(また話ちょっととぶけど、『アラサーちゃん』の最新巻に書かれていたけれど、「高学歴高収入の相手を見つけるには、自分が高学歴高収入になるべき!」と。そのとおりだと思う。)

 

 

 じゃあ出会いはどこにあるのか、というと、ラピュタみたいにちょっと度胸を出したその先にあるようなイメージなのだけれど、「一人で行動すること」の先にある。同性同士で飲みに行ったり、遊びに行く人に出会いなんかない。一人で飲みに行ったり、遊びに行く人が出会いに囲まれるアドバンテージを得る。

 「一人で居るなんて寂しそうと思われそうでむしろマイナスイメージを抱かれかねない」なんて反論もあるだろう。そしてそうかもしれないけれど、むしろそのほうが話掛けられやすい。じゃあそこで話かけられて恋愛に!?って、そういう安直な話でもない。その前に、一人で「どこへ」出かけるのか、という話をしたい。

 

 山や川や公園に行っても、気持ちの良い挨拶をする人たちと気持ちの良い挨拶を交わすだけであることが多い。いや、それはそれでなかなか良さそうだ。しかしここでいう「出会い」は、何も気持ちの良い友人との、ということではなくロマンスの道先案内人との出会いである。アムウェイとかある種のサークルでも出会いはあるけど、そんなところで出会う人に僕はなんとなくあまり良いイメージがもてない。アムウェイバッシングをしたいわけでは(少なくともこの場では)ない。ある種の明確な目的を持った集まりがかもしだす歪んだ一体感が、ここで述べてきている出会いには不適切だからである。そこには「健全な多様性」がやや損なわれている。では、どこに健全な多様性があるのか、というと良質な飲食店である。

 

 良質な飲食店。その定義はこうである。「美味しい」、「人の悪口、噂話、誰かが来たとかそういう情報などを話さない」、「食べログで点数があまり高くない(偏見もあるかもしれないけれど、良い店には、食べログを見てくる人を敬遠したくなるお客さんたちが集まることが多い気がする)」、「店の人もお客さんもみなちゃんと挨拶やお礼をする」。そういう店は、類友効果で店の人も良いが、お客さんたちが良いひとたちばかりである。彼ら・彼女たちは、貴重なその店を自分の憩いの場としてまもるために、良質な友人しか連れて行かない。結果、その店は、民度の高いより良い人たちばかりが来るような場になる。そういう店は、一人で食事をしても飲んでも許される気配がある。そういうところに頻繁に通うのである。誰も話しかけてこないし、出会いもない。慣れるまでのあいだ、所在もないし、気まずいし、やや恥ずかしい。でも通う。またそういう店を見つけるまでのあいだも、ひとりで「良い店探し」行脚をしなくてならない。でも愉しめば(『孤独のグルメ』ごっこくらいに考えて)、それほどつらいことでもなくなる。なかなか楽しいくらいである。そんなことを数回もやっていれば、店の人も、あなたはすごく臭いとか不遜でもない限り、親近感を抱いてくれて親しみを込めた挨拶をしてくれたり、ちょっと話しかけてくれたりするようになる。または「良く来てますね」なんて誰かがちょっと話かけてくることもある。さくっと食べるか飲んで帰るなんて具合であればそれほどお金もかからないだろう。合コンに行くのと同じようなコストじゃないだろうか。誰かと少しでも仲良くなるとその店を好んでくる人たちと少しずつ話をするようになる。そこで出会いがある!ということでもない。良質な店で感じの良いひとたちとの新たなる世界が広がり始める、ということである。そんな人たちと会う機会が増えてくると、その中に素敵な人がいることはとっても多い。それが一番良い出会いである。少なくともモテない人たちだけで集まる合コンよりずっと良い出会いがそこにある。そういう相手を見つけたら、頑張って仲良くなるか、自然の波長で仲良くなるかすれば良い。

 

 さて「素敵な人にはすでに恋人がいるじゃないか」と言われるかもしれないが、いるに決まっている。ちょうど別れたばっかりなんですよ、というのは都合の良い妄想とかドラマとかでしかない。じゃあ略奪せよと言っているのかと問われれば、半分イエスで半分ノーである。その目当ての素敵そうな人にたとえパートナーがいようが別れるかもしれないし、あなたと出会ったことで相手と別れたくなるかもしれない。計略をめぐらせて別れさせるわけじゃない。という意味で略奪ではないと半分くらい言える。そういうことをするとアメリカ人が復讐劇を好んで観る根底にあるような、「奪ったものは、いつか奪われる」という疑念に取り憑かれ続けることになるし、取り憑かれ続けているとけっこうそれが現実にもなる。できるだけ誰かの不幸など望まないでいたほうが良い。

 しかしそもそも新しく開く世界には、質の高い人たちばかりがいるのである。彼らとプライベートで遊んでいれば、たとえその店には来ない人の中にも素敵な人がいて、あなたもまた素敵な人であれば、紹介したくもなるから、どんどん良い出会いに会う。

 

 店、に限らないかもしれないが、より良い人(定義は先にあげた良質な店の定義とだいたい同じ)が集まる場所に一人で行くこと、少し通うこと。そして自分自身が自分の人生をちゃんと楽しもうとすること。なぜなら自分の人生を楽しもうとしていない人は、その人がつまらないから。自分が面白くて品性がないと良質な人とも仲良くなれない。それから自分のことを何よりも大事にすること。これについては『ロスチャイルド家の上流マナーブック―ナディーヌ夫人が教える幸せの秘訣』という本に詳しく書かれている。この3つで、出会いは困らない、と思う。

 

そういえば、自分のことをちゃんと大事にしないと、いっぱいある自分の魅力にも気づかないから、ほんとは魅力的なのに、素敵なパートナーと出会えない、なんてことが良くある。綺麗なのに、知性が高いのに、面白いのに、能力が高いのに、出会いがない、恋人がいない、という人は自分のことをまずちゃんと大事に思ったほうが良い。ほんとうに。

 最後にタイトルにある宝くじの例えについて。宝くじは、貧乏人が払う税金である、と言われる。宝くじに毎年1万使うなら、それをちょっと貯めて投資に使ったほうが良い。確率について数時間調べれば、その辺は納得できると思う。合コンに行くモテる人がいないように、宝くじを買う金持ちもいないから。