シャンパンとホテルとそのあいだのこと

シャンパンとホテルと色恋についてのブログ

最高級ホテルから学ぶこと

f:id:greedproject:20170605204316j:plain

 

 良質なホテルをなんと呼べばいいのか迷って、これぞそれ!という表現が見つからず、そう言えばむしろ中級に見えそうな「高級」という言葉を使った。という枕をおいてから語るけれど、最高級と呼ばれるホテルは、お金もかかるけれど、学ぶことの多い場所でもあるので、僕はできるだけ訪れるようにしている。

 

 東京には、いくつものの高級なホテルがある。映画『ロスト・イン・トランスレーション』の舞台であるパークハイアット。比較的新しいアマン。客室から見える東京湾が美しいコンラッド東京。朝食が楽しいパレスホテル。プールの美しいグランドハイアット。などなど。10前後の「高級ホテル」がある。あなたが多忙なら、1泊で旅行をしたようなリフレッシュができる場所として最適な場所とも言える。僕自身、多忙かどうかはさておき、犬猫を飼っているため、長い旅行が難しいので、都内のホテルに旅行気分で宿泊することが多い。多いとは言え、行き慣れているわけでもなく、行く度に学ばされることが多々ある。そうやって学んできたことについてまとめてみたい。

 

  1. 服装

 宿泊するぶんには、本質的にはどんな格好だって良いのだろうけれど、泊まる側として快適なのは、その場にふさわしい格好でいることである。

 いきなり話が少し飛ぶのだけれど、僕はマンダリンオリエンタルに宿泊したときに、エレベーターの中で、よれよれのAC/DCのTシャツを来た白人の男性にはちゃんと挨拶をされた。そして、連れの女性に対して“After you”と言って、僕も含めて先に降りることを譲ってくれた。その一方で、フォーマルな洋服を身にまとった日本人宿泊客たちからは、ほとんど挨拶をされたり、エレベーターなどの場で彼らが良いマナーをする姿をみることはなかった。だから、本質的には格好より中身である民度の高さのほうが重要ではあると思う。

 が、それは接してみないとわからないから、民度を発する側に我が身をおけば、不慣れが故に、誰をも不快にせず、しっくりとその場に溶け込みたいので、ふさわしい見た目を得たいと思うのである。

 スーツをきっちりと着るべし、ということではないし、高価なブランドでなくてはならないというわけでもないだろう。しかし、ホテルの受付の人、他の客から観て、残念な目で観られたくないという気持ちは矮小かもしれないが、やはりそんな不安などないほうが、こちらとしても快適である。

 その具合やかげんを知るには、ホテルに行って、そこで見かける人たちを観察するのが一番はやい。いろんな国々の人たちがいるから、バランスも取りやすい。結果、私見だが、急にGDPが上がったような国の人々のマナーは、良くないことが多い。ホテル文化に馴染みのある歴史の長い国の人々のマナーは良いことが多い。それはそのまま見た目にも反映される。アメリカだけ例外で見た目はすごくラフなのにマナーが良いことが少なくない。

 すべからくフォーマルにすべきというわけでもない。なんというか雑な言葉を使うと「バランス」が大事といえるのではないだろうか。上手いこと、マニュアルみたいな話にまとめられるわけでもなく、国内外含めてできるだけ多くの「高級ホテル」に泊まっていると、だんだんと「こういう具合かな」という感覚がつかめてくる。するともうひとつ大切な要素が全面にでてくる。それは「慣れ」というか「自信」である。それは、周りに思いの外伝播する。勘違いをしていないのであれば、まわりの人々は、この人はこういう場に属している(人を困惑させるようなことはしない)人なんだなと認識される。こういうことをホテルでは学ぶことができる。

 

 

  1. 態度

 見た目と同じくらいに大事なのこと。ホテルのレストランで給仕してくれるスタッフにちゃんとお礼を都度言うこと。大きな声で「すいませーん」と呼んだりしないこと。声量を調節すること。テーブルマナーをちゃんとすること。服装もレストランではちゃんとすること(ランチはある程度ラフでも良いけれど、ディナーはちゃんとしないといけない)。なぜなら、レストランの方々は、「ここはちゃんとしたレストランです」とお客に思って欲しい。なのに、Tシャツに短パンで来られては、それを見た他のお客たちに、自分がビアガーデンとか居酒屋に来たみたいな気持ちにさせてしまう。態度も然り。なので、ちゃんとしていて欲しい。そしてちゃんとしていると「ちゃんとしてくれてありがたい」という態度を受ける。何人かでホテルのレストランに行くと、スタッフの方は、オーダーの最後に複数のなかで一番ちゃんとしている人を見つめて、「これでよろしいですか?」という伺いの視線を注ぐ。会計もその人のところに置く。彼らは席順からもそれを判断する。なので座る前に席順も考えて置く必要もある。

 ホテルは、他所よりお金がかかるが、金が物を言うとしても能弁ではなく、場所としてはマナーが重視される。たとえスイートルームを借りる常連であっても、バーで騒いだりすればたしなめられる。なぜなら、ホテルは一人の客のために多数を不快にさせるわけにはいかないから。居酒屋だって同じなのだけれど、快適に過ごすために、高い金を払っているというのもある。

 高所得者になればなるほど、マナーを熟知しているかといえば、その可能性は高くなるが、マナーの悪い金持ちもいる。高級なホテルであれば、ホテル側の配慮によって、素行の悪い他の客によって不快になる機会はとても少なくなる。それは逆に、あなたも素行によってはたしなめられるということである。

 ホテルの人も、他のお客に対しても、礼儀や敬意を忘れないでいることが大事ということになる。ホテルでは、そういうことを実地で学ぶことができる。

 

 

  3.自分という人間が大切な存在であること

 ロスチャイルド家のナディーヌ・ロスチャイルドの著書の冒頭にこう断りがあります。「あなたが第一に心を配るべき人は誰か? 父? 母? 伴侶? 子供? おわかりでしょうか? 答えは、あなた自身です」。この自分を大切にするという意識に、我々日本人は、思うにいくぶん不慣れである。しかし、自分を軽視することからはそれほど美しいものは生まれ得ない。「慎ましい」ということと「卑屈」というは意味がもちろんことなるのだけれど、自己軽視というのは、卑屈に近い。先のナディーヌ嬢は、続けて、自宅で自分のために使うティーカップこそ最良の物を使うべきだと記している。自分という存在に敬意を払うことから生まれるのは、人の心を軽んじないほうが良いという実感だろう。どうしたら、自分は快適に過ごせるだろうか、こう考え始めるとうちの中は整理整頓したくなるのではないだろうか。ちゃんと眠るようになるのではないだろうか。美味しいご飯を作って食べたくなる。それも素敵な食器で。ベッドのシーツは清潔にしたくなる。花を飾りたくなる。こういうことを考え、実践するようになると、果たして他者がどうしたら快適に過ごせるだろうかと心を砕きやすくなる。

 良いホテルに行くと、ホテリエたちは、目が合うとにっこりを微笑みを浮かべて、挨拶をしてくれる。頼めば、氷をいっぱい湛えたワインクーラーと綺麗に磨かれたワイングラスを持ってきてくれる。持参したワインが上手く開けられないときには、ソムリエがやってきて頑張って開けてくれる。レストランでは、注文したいなと思って周りを見回すだけで、レストランのスタッフはあなたの視線に気づいて、そっと近づいて来てくれる(だから「すみませーん!」と声をあげられると彼らを傷つけることになる)。ベッドは綺麗にメイクされていて、ベッドサイドにはペットボトルの水が置かれていたり、他にも「喜ばせたい」という思いがいろいろと形になって現れていることがある。

 そういう経験を滞在中し続けることで、人は自分という人間をあらためて、大切に思うようになる。周りから大切にされる実感が、それを容易にしてくれる。高い宿泊費なのだから、至れり尽くせりは当たり前だと思うだろうか。もしそう思うのだとしたら、日頃からその人は自分を大切にするということを実践していないのだろう。先に挙げたような自分の快適さを通して見つける、他者の快適さの追求というものが尊いということを知らないのだ。

 こんなふうにして最高級のホテルで食事をしたり、宿泊したりすることからは、自分を大切することを心地よく学ぶことができる。

 

 4.ドラマ以上のロマンス

 ホテルは口説く場所としては、私見だが、やや恩着せがましい場所に思う。もし誰かを口説くなら、普段自分が良く行く店で(とは言え、ファミリーレストランとかじゃないところ。だって持て成す積りなのだろうから)、身の回りにある素敵だと思う店や食事を紹介するところから始められたい、と考える。ホテルに住んでいるならともかく頑張って行くのであれば、それは「釣った」あとにすべきだ。

 というわけで、最高級ホテルに行くならば、伴侶や恋人と行くに限る。窓からの景色が良いかはわからないが、少なくとも部屋の作りはとてもロマンティックなはずである。天井にはスポットの照明しかない。あとはベッドサイドランプや淡いルームライト、間接照明である。夜はほの暗いほうが人は快適に過ごせるからだけれど、それ以上に高級なホテルというのは、ロマンスを提供する気満々だからである。部屋からバスルームが見える作りのホテルは多い。コンラッド東京では数年前にカップル用に赤いランジェリーをバラの花弁とともにベッドにディスプレイしてプレゼントするという企画もあった。

 ホテルの酔うような雰囲気を利用して、パートナーを素敵な存在として扱う楽しさといったら、クリシェ満載のドラマから得るロマンスの虚構ではないリアルなロマンスを通して、ドラマや映画以上になる。なぜなら、触れることができて、話すことができて、抱くこともできるからである。

 アメニティは、素敵な匂いがするものだし、シーツからはやすっぽい洗剤の匂いはしない(無臭)。

 不思議と音楽を快適に楽しむ用意は、高級ホテルとてないことが多い。グランドハイアット東京はベッドサイドにもスマートフォンを接続できるスピーカーもあるし、テレビのスピーカーも良質なものだった。しかしそんな用意がないところが多いので、ポータブルの良いスピーカーを持参することを個人的にはお勧めする。それからちょっと良いアロマキャンドルもお勧めしたい。

 聞きたい音楽を小さくかけて、良い匂いが部屋に漂い、部屋に続くバスルームでお風呂に入ったり、シャワーを浴びたり、景色が良ければ夜景や夜明けをみたり。それはもう日頃汗まみれで働く二人だからこそ、楽しく過ごせるはずである。愛人とホテルに行く前に、先に、そしてその何倍もまず伴侶と時を過ごすべきに思う。

 

 

 蛇足をつけた気もするが、以上のような理由で学ぶこと多きサンクチュアリである最高級ホテルを強くお勧めする。パークハイアット東京でも安ければ5万以下で宿泊できる。小さな旅行と考えれば、そして学ぶことが多いのだから、ときどき泊まってみることはとても有益なはずだ。それもできれば、何でも無い日に泊まるのがより良い。記念日やクリスマスなども良いけれど、何でもない日にこそホテルに宿泊されたい。何でもない日々こそ大切な人生を形成する最大の構成要素なのだから。